屋台の大型化の新聞記事に思う

記事はここです。


粕谷宗関さんいわく、「将来は練り子が減り、台車で引く地区も出てくるのでは」ってひょっとして
この人浜手の一部の祭りのいちばんハイライトしか見てないのかなと思ったのでした。
 灘のけんか祭りで知られる、松原八幡神社の屋台でも宵宮の村回りとか昼宮の村から神社までとかは
台車に載っている可能性がある。
すべてを確認したわけではないけど、一部の屋台では台車に載っているのを確認しました。
正直な所まさかと思ってたのですが、そもそも白浜の駅を降りたけど太鼓の音が聞こえない。
どうも、浜手の太鼓はインターネットの書き込み等では四国まで聞こえるみたいな書き方
なのにどこからも聞こえない。5つや6つの屋台が村回りしていてもおかしくないのに
聞こえない。ということで町内の人の流れから察知してひとつ屋台を発見したのですが
台車に載ってました。
 あまり他の屋台を見たことないけど、台車に載っている屋台ばっかりしか見ていない。
他の祭りを見に行ったことがないだけだけど。

となると、さほど浜手といっても神格化する必要は無いのかもしれない。
ただ、インターネットの書き込みなんかでは、姫路のほうの屋台を雨が
降ってきたから屋台を見捨てて練り子が帰ってしまったので屋台が動かなくなった。
みたいな書き込みを読んだことがあります。
 そのときはへたれ練り子の屋台なのかなとおもったけど実は
100パーセント練っている屋台だったのかもしれない。となると台車が存在しない
から練り子がいなくなると屋台は動かない。

となると、粕谷さんが言ったのはすべてを台車に載ってという意味なのか。
すべてを台車に載っているならそれは山車と同じになるのではないか。
岸和田のだんじりとか祇園祭の山鉾とかで、引っ張ったりする移動体。
となると、祭礼の移動体の考察として、
移動体は神が乗る移動体とそれ以外の移動体に分かれる。
で、屋台とはそれ以外の移動体である。
だんじりもそれ以外の移動体である。
で屋台は人の肩に担がれて移動するものであった。これは神吉の祭礼絵巻を見れば判る。
台車は存在していない。となると考察する必要がある。

この考察となると、ユネスコの世界遺産の登録で「山・鉾・屋台行事」が登録されたという
報道がありましたが、どこにもいわゆる太鼓台文化圏からは登録されていない。
このへんの考察も必要ではないかと思ったのです
なぜ、灘 や 新居浜って代表するような太鼓台の祭りが入っていないのか?
ひょっとして、灘って日本三大けんか祭りと称されているけど実は兵庫県南部あたりだけ
でしか有名でなくて、文化的にはさほど価値の無いっていうのが世界的な評価なの
かも。なんか歴史的に見ても太鼓屋台の歴史は浅そうだし。
でも、掲示板の書き込みを見ると昔はって話が出る。
京都の人の老舗は応仁の乱のころからの店のことで、江戸時代からの店なんかは
まだ新しいので老舗とは呼べませんなあって話と通じるのかも。
 京都の人の前の戦争は応仁の乱らしいですし。




新聞記者も台車に乗った屋台を見たこと無いのかな?
とおもったけど、新聞記者も練り子をしたことがあるみたいだ。
また、この記事にも台車のことは触れていない。
ずっと村から神社まで肩にのせたと誤解されてもしかたが無い書きっぷりだ。
タブーなのか。それとも新聞記者には一番いいところだけ練ってもらったのか?

じゃあ、ほとんどの祭りで移動体としての屋台の移動方法は台車に乗っての移動の時間のほうが
正直なところ長いです。だれも指摘しないのはタブーなのか?
 
なんか屋台研究家はいいけど、私の見たことのある祭り(といっても山手しか見たこと無いのですが)
は神吉八幡でも志方でも生石神社でも米田神社でもいわゆる巡行時は台車に載せています。
将来ではなくて近年(といっても江戸時代は違うようだけど)から台車です。台車に乗っている時間の
ほうが圧倒的に長いのです。
 ずっと、肩で練れるだけの人が入る地区や、何らかの理由をつけて大型化をしない地区でないと
ずっと人の肩の上に屋台がある(か地面に置かれている)のは無理だと思うのです。
 その点では神社の門をくぐれる大きさにしないとだめとか、町内が入り組んでるので大型化できない
ってもっともな理由をつけれるのはその点で得しているのだと思ったのでした。


屋台について 大屋台 中屋台 小屋台 子供屋台って言い方をする方がいます。
子供屋台というのは子供が練る屋台のイメージですが、実際は子供が練るには無理がある
もので小ぶりの屋台のことを指す事もあるようです。
で、小屋台とか子供屋台というのは灘とかの屋台のことを周辺地域の人が大型化したときに
ちょっと皮肉って使う言葉なのかなと思っていました。




inserted by FC2 system